器の旅 〜信楽〜


日本六古窯の1つ、滋賀県甲賀市信楽町。
平安時代後期に常滑から技術が伝わって、やきものが始まったという。
焼き締めと呼ばれる、釉薬を使わず高温で焼かれる土本来の焼き色をもった器は、桃山時代に、茶の湯の茶器や花器として、評価を得る。

江戸時代には、代表的な輸出品であるお茶の茶壺が大量に焼かれて、繁栄したらしい。その後、茶壺はブリキによって代替されてしまい、昭和に入ってからは火鉢や、工業用の窯業が栄え、タイルなどが焼かれたそうだ。大阪万博で岡本太郎によって建てられた太陽の塔のタイルも信楽で焼かれたものだそうだ。

技術の変遷によって、様々な業態を経てきた信楽だが、現在は当時の繁栄はなく、静かな街となっている。

タクシーの運転手曰く、数十年前には3〜6ヶ月前まで受注が一杯で、窯元は大忙しだったそうだが、今は器も売れず、小売店が店を閉め、窯元もどんどんと廃業していっているそうだ。


とは言え、そのやきものは素晴らしい。
東京からは5時間近くかかった。
新幹線で米原駅まで行き、そこから琵琶湖線で草津へ。草津線というローカル線に乗り換えて、貴生川へ。そこで信楽高原鉄道に乗り換えて、ようやく信楽にたどり着く。
山の中。
めちゃくちゃ交通のアクセスは悪い。
陶芸の産地は、薪という燃料を得るために、基本的に人里離れた山奥にあるために、交通の便が悪い。


観光客はゼロ。
外国人もゼロ。
とても活気があるとは言えない街だが、お店には陶芸体験の看板を掲げるお店も多く、意外と観光客は来るのかもしれない。聞いたところによると、年に3回の陶器祭の時期には賑わうそうだ。


街に着いて、窯元のあるエリアを散策する。
観光案内所でマップをもらって、坂道を上がっていくと、いたるところに窯元の看板がある。
ただ、平日ということもあり、ほとんどが観光という感じではなく、誰もいなかったり・・・。ちょっと哀しい感じだった。


それでも、さすがに陶芸の産地として古く、今も産業が活きている街には、いたるところに登り窯が見える。信楽全体で500ほど窯があるそうだが、現在では登り窯は30程度だという。その中でも現役として稼働しているのは10程度ではないかという。

残念ながら、信楽古来の焼き締めの製法で、登り窯で焼かれている器は全体の1%程度にすぎない。登り窯を炊くには、4、5日24時間体制で火の見張りが必要で、人手がかかる。さらには、薪代だけで20万円以上。労務費を合わせて、1回登り窯を炊くのに40、50万円のコストがかかるという。だから、今となってはなかなか焼くことができないのだ。



街では粘土を売っていたりした。信楽の土は、昔から陶芸に適していて、多くの陶芸家が買い求めてきたそうだ。




散策を終えて、老舗旅館の小川亭へ。
ここはかつて、岡本太郎が定宿とし、小山冨士夫などの陶磁器研究者が宿泊したところ。
古い建物が風情があって、テンションが上がる。
宿は貸切状態で、他に客はおらず・・・
経営は大丈夫だろうかと、ずっと気になってしまいましたが。
普段の信楽はこんな感じなのかもしれない。きっと、陶芸のためにしばらく滞在する客や陶器祭の時に賑わうのだろう。。。


きじと猪の鍋と日本酒を堪能。
出される料理のすべてに信楽の作家が作った器が使用されており、とにかく器が素晴らしかった。

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