朝鮮白磁の歴史


日本民藝館で朝鮮の「白磁」の展示をしていた。
以下、パンフレットから朝鮮の白磁の歴史をメモしておく。

朝鮮の白磁は、1466年〜1468年頃、都の漢陽(現在のソウル)の郊外、京畿道広州に王室が窯を設けたところから始まったという。ここで本格的に白磁が製作され始め、16世紀頃には地方にも技術が拡散する。

この時期、王室が運営する京畿道広州の窯では、「青花」なども製作されるが、絵付けに使用するコバルト顔料が当時貴重であったため、王室の絵画制作に携わる図面署画員が絵付けを行ったという記録がある。

この後、文禄・慶長の役(豊臣秀吉の明国出兵)などの戦乱を経て、17世紀に窯業は大きく疲弊する。貴重なコバルト顔料を用いた「青花」はごく少数製作されるのみとなり、その代わりに酸化鉄顔料を用いた「鉄砂」が盛んに製作されるようになる。


18世紀になり、再び「青花」が少しずつ製作され始め、19世紀には非常に多くの「青花」が製作された。しかし19世紀後半には安価な日本製陶磁器が朝鮮国内に数多く流通するようになり、朝鮮白磁を圧倒するようになり、朝鮮白磁は衰退した。

かつて、日本の陶芸は、戦国時代に朝鮮の陶工を連れてきて、大きく発展した。それが時代を経て、逆に日本の陶磁器が、朝鮮に流通することで、朝鮮の白磁を衰退させていったというのも、歴史の皮肉かもしれない。

韓国の京畿道の街、利川というところでは、今も陶芸が続いているそうだ。
シンプルな白。かつて柳宗悦が、そこに「雑器の美」を見出した朝鮮白磁。

これは韓国にも視察に行かねば!?

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