器の旅 〜小鹿田〜


博多駅9時24分発、特急「ゆふいんの森」で、大分県の日田へ。
日田駅から1日3便のバスで山奥へ向かう。
ソフトバンクの携帯は圏外。

かつて、民芸運動の創始者である柳宗悦によって、「日田の皿山」の名で知られるようになった小鹿田焼の里。現在は14戸の住居があり、内10戸が窯元として、陶芸を続けている。12時前に到着。


小鹿田に着いてから、まず気づくのが水力を利用した、木槌の音。カラン、カランと木槌が唐臼を叩く音が聞こえてくる。小鹿田では、長石を採取した後に、この唐臼を使って、細かく砕く。


20〜30日をかけて、長石を粒子状にした後に、水を加えて濾して、粘土をつくる。
小鹿田焼では、機械を使わない。成形には蹴ろくろを使い、焼成には登り窯で薪を使う。
恐ろしいまでに昔ながらの製法を貫く。このアナログさに痺れる。


まずは、小鹿田焼陶芸館へ。ここで小鹿田焼の一通りのことを学ぶ。
小鹿田焼は、黒田長政が16世紀末に豊臣秀吉と共に朝鮮出兵し、朝鮮の陶工を連れて帰ってきたことから始まる。陶工は、小石原焼として、小鹿田から一つ山を越えた場所に窯を開く。1706年、徳川幕府の直轄地、天領となった日田において、代官が小石原から陶工を呼び寄せ、陶芸を始めたところから小鹿田焼が始まった。


小鹿田焼の技法は、打ち掛け、流し掛け、飛び鉋、刷毛目、指描き、櫛描き。特に飛び鉋は、他の産地では見られない技で、これは現在でも一子相伝で継承されている。


陶芸館には、バーナード・リーチの作品が残されている。柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ。彼らの民芸運動によって、昭和初期に小鹿田焼の名は広く知られることになる。


小鹿田で唯一の飲食店『山のそば茶屋』で、地鶏ごぼうそばを食べる。
器は飛び鉋。この場所で50年以上、営業を続けているそうだ。
ポソポソッとしたそば粉だけでつくられた蕎麦が素朴においしい。


窯元には、それぞれ展示場があって、作品に触れることができる。そして、窯元では、職人さんが、せっせと粘土を漉したり、器を天日干しする姿を見ることができる。


窯入れは、年に5〜6回。約55時間かけて昼夜通して焼くそうだ。1回に5,000程度の器を焼くのだとか。生産は完全に受注生産。受注を受けた時に、多めに作り、最も出来栄えが良い作品と、出来栄えが悪い作品を抜いて出荷する。展示場では、最も良い作品と出来栄えが今ひとつなものを安価で売るのだという。


作品は、それぞれの窯元によって、少しずつ違っている。土は同じでも、釉薬の仕入先によって風合いが異なっていたり、形はやはり職人さんの腕によって、特徴が出るそうだ。

他の陶芸の産地に比べると、意外と観光客を見かけた。車であれば、割とアクセスも良いようだ。但し、外国人客はほとんど見かけない。

すべての工程を機械を使わずに素朴なまでに手仕事で行う小鹿田焼。
陶芸の産地としては完璧と言えそうな雰囲気が漂っている。

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