民藝の足跡を追って 〜我孫子〜

 


千葉県我孫子市。1896年、常磐線の開通によって、東京から1時間となったことで、手賀沼を望む高台は別荘地として注目され、「北の鎌倉」と呼ばれたそうだ。

ここに文人たちが集まったのが、大正時代。1914年、民芸運動の提唱者である柳宗悦が移り住んだことで、志賀直哉や武者小路実篤などが移住した。
さらには、柳宗悦の邸宅「三樹荘」には、陶芸家バーナード・リーチが窯を築いた。


我孫子駅から炎天下を歩くこと15分足らず。住宅街の中に、柳宗悦の居宅跡が現れる。
現在は、個人宅となっており、中には入れない。三樹荘の説明の看板が柳宗悦の足跡を語る。


三樹荘は、高台になっており、家の脇道に緑豊かな階段が続く。
手賀沼に向かって、緩やかに降っていく。


我孫子の地図。


階段を下ると、また住宅街。大正時代は、おそらく手賀沼まで遮るものもなく、田んぼが広がっていたのだろうが、今は完全に地方のどこにでもあるような街並みだ。

近くには白樺文学館がある。空調設備の工事のために休館中だった。。。


志賀直哉の邸宅跡。
書斎だけは、移築されていたものを元の場所に戻したとかで、当時のものだそうだ。



手賀沼の方に歩いて行く。
バーナード・リーチ碑を発見。1916年から1919年に窯が消失するまで、我孫子に住んで作陶していたそうだ。
記念碑には、東洋と西洋の融合というリーチの理想像が示されている。




I have seen a vision of the marriage of East and West.
Far off down the Halls of Time, I heard a childlike voice.
How long? How long?  

Bernard Leach

私は東洋と西洋の結婚を夢見続けてきた。
はるか悠久の彼方から聖童の声を聞いた。
それはいつの日か いつの日か



今はすっかり住宅街となってしまった我孫子だが、手賀沼は今も変わず水をたたえている。
大正時代の頃をイメージしながら歩くと、少しは民藝の足跡を感じられるかもしれない。

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